福島からニューヨークへ
清野は高校卒業まで福島市で過ごした。この地域の人々は、正義感が強く、情に厚く、粘り強いとされている。
大学時代、清野は学園紛争を経験し、「お金を稼ぐだけではない生き方」を求めて国家公務員を目指したが、不合格。何をすべきか分からないまま、銀行に就職した。
銀行では、将来の目標が見つかったときのためにビジネスのプロを目指して土日も休まずに努力した。調査分析、国内外でのビジネス交渉、外国証券投資、為替・金融商品アレンジメントなど、多岐にわたる業務に取り組んだ。
入社6年目でニューヨークへの転勤命令を受けると、米国の大企業を相手にプロジェクト融資案件の獲得競争で米国の銀行に連勝した。
そして、帰国後の2001年、ニューヨークで9.11同時多発テロが発生した。オフィスがあった81階に2機目の飛行機が直撃し、清野の後任が犠牲になった。
このテロの犠牲者は約3,000人。その中にはニューヨークの消防士343人も含まれていた。